そもそも無痛分娩に興味を持ったのは、私の幼馴染の親友がアメリカで無痛分娩を経て楽に出産できたというエピソードを聞いたのがきっかけでした。

彼女の出産直後あたりに私が妊娠し、無痛分娩での出産がいかに楽だったかという体験談が頭から離れず、もう選択肢はズバリ無痛分娩しか考えられませんでした。

その頃は私もまだ東京に住んでいて、家の近くの産婦人科で無痛分娩をやっている所を調べてみると、いくつかあったにも関わらず無痛分娩が人気だったのか、ベッド数に限りがあるのか、どこも予約でいっぱいでダメでした〜 😥  

家族は「諦めて普通に産めば?」と言うのですが、楽して産みた〜〜い!と願う横着な私には残念ながら他人の意見に耳を傾ける事が出来ず、必死に東京都内で無痛分娩をやっている病院を探しました。そこで見つけたのが、杉並区にある「東京衛生病院」でした。

 

東京衛生病院での無痛分娩

ネットで「無痛分娩 東京 おすすめ」で検索すると、1ページ目に出てきたのが東京衛生病院でした。見てみると、即決してしまいそうな見事な実績が書かれてありました。 こんな感じです。

1)365日24時間対応の無痛分娩を行なっている

2)日本で最初に無痛分娩を取り入れた病院

3)無痛分娩の歴史は45年以上

4)この病院で出産する人の8割が無痛分娩

5)無痛分娩マニュアルがしっかりしていて無事故

 

そりゃ〜もう私もこれを見て即決しましたよ。

きっとここなら間違いなく無痛分娩が行われ、安全に産めるものだと思いました。私は東京の東側に住んでいたので西側の荻窪というと東から西へ東京を横断する様なもので、同じ東京といえど通うのには片道1時間半程かかります。無痛分娩は料金も高いです。

にも関わらず、私はサイトにある実績や1部の口コミを信じきって家族を説得し、東京衛生病院で産む事を決めました。これが後々恐ろしい出産体験をする事になるとも知らずに、、、 😥 

 

出産時の流れと想像を超えるハプニング

臨月までの定期検診は地元の産婦人科で診てもらい、いよいよ産む1ヶ月前から東京衛生病院に通い始めました。無痛分娩は出産日をあらかじめ予約するんです。

そう、子供の誕生日を親の都合で決めてしまうんです。今冷静に考えると無痛分娩を希望するなら当たり前の事なのでしょうが、誕生日くらい子供のタイミングで決まるのがやっぱり自然なんですよね、、、 😥 

あまり思い出したくない体験なので、こうやってブログに書くのも実はかなり辛いのと記憶がない部分もあるのですが、こんなリスクもあるんだと多くの人に知ってもらいたくて、意を決して書いてます。

確か出産予定日の1日前に入院しました。この日まで胎児も私も何のトラブルもなく順調に出産予定日に備えて入院したのですが、自然な陣痛が無い為まず無痛分娩でやる事は、赤ちゃんが出てきやすい様に背中に局所麻酔をしてチューブを入れ、そこから麻酔を入れ、赤ちゃんが出てきやすい様に子宮口にたくさんの詰め物をするんです。

詰め物は体内の水分を吸ってどんどん膨らむラミナリアという物体なんですが、子宮口を開かせるのって麻酔をしないと失神してしまうぐらいの痛みが伴います。

しばらくラミナリアをつけた状態で過ごし子宮口が十分に開いてきたら取り除きます。そして陣痛促進剤を点滴して、赤ちゃんが降りてくる準備をします。ここまでは順調そうでした。

が、赤ちゃんがなかなか降りてくる気配がないという事で、医者が子宮口を手で押し広げるかの様にグルグルかき回してきました。 もちろんこの時の状態は麻酔が切れているので、その状態で子宮口をえぐられる様に手で押し広げられると、それはもう痛みに強い方の私でさえあまりの激しい痛さに絶叫しました!

「ちょっ、ちょっと私、無痛分娩するんだよね? この強烈な痛みは何!?」

と心の中で泣き叫んでいました。ドクターに「この強烈な痛み、耐えられません!やめてください」と言うと、「赤ちゃんがなかなか降りてこないし、もう手で羊膜を切って破水させたから、急いで子宮口を刺激して降ろさせないと帝王切開になるわよ」と言われ、帝王切開になるのは絶対に嫌だったので、その後追加で2度も子宮口をグルグルやられ、例えようのない激痛に絶叫&失神寸前でした。これだけ耐えたのに、「もう破水させてから1時間近く経ち胎児が危険な状態になるから帝王切開に緊急変更します」と言われ、私の意思に関係なく即手術室へ運ばれ麻酔をし、何とか無事に帝王切開で長男を出産したのですが、、、。

無痛分娩のはずが想像を絶する激痛分娩となりました。 多分、自然分娩をはるかに超える猛烈な痛みだったと思います。

 

出産後の経過と更なる恐怖体験

帝王切開で生まれてきたららんは静かでした。「オギャー」と泣く赤ちゃんを想像していましたが、それよりも先にドクターに「ちゃんと手足が動き無事ですか?」と産後疲れと麻酔で朦朧としている状態で聞きましたが「無事に産まれましたよ」とだけ言われました。

その後病棟に移り、横には産まれたばかりの静かなららんがいました。産まれたてはまさにガッツ石松の様な顔でしたが、「ママと一緒に頑張ったね!きっとららんも痛かったね。よく頑張ったね!ありがとう」と愛しい眼差しでららんの紅葉のような手を握り話しかけたのを覚えています。

次第に麻酔が切れてくるのですが、ここからが悪夢の始まりでした。 臓器が癒着しない様にと翌日からトイレまで歩かされたりするのですが、痛みがハンパありません! 夜も麻酔が切れると激しく手術跡が痛み、痛み止めの座薬を入れてもらっても痛みが収まりませんでした。開腹手術をしたんだからこれくらいの痛みは当たり前なのかな?と思いながら約1週間入院しました。

入院中は赤ちゃん達がいる病室に3時間おきほど行き、授乳をするのですが、おっぱいをなかなかうまく吸えないみたいで、鼻からチューブを通してミルクを飲まされていました。 元気よく泣かないしミルクもうまく飲めないので、何か病気があるのかどうかドクターに聞いたところ、筋力が弱そうだけど特に異常はないだろうと言われ、何の検査もこの病院ではされませんでした。

1週間後退院するのですが、私の腹部の激痛は全く治らず歩くことさえ出来ない状態での退院でした。ららんはまだ鼻からチューブでミルクを摂取していた状態なのでしばらく入院が必要だったのですが、この病院に深い不信感を抱いていた私は、ららんを家の近くの日赤に病院を移しました。

退院直後も腹部の痛みが激しく歩けない為、旦那さんが車椅子をレンタルしてくれました。こんな状態では生活が成り立たないので、旦那さんのお母さんに家に来てもらい、家のことを10日間ほど手伝ってもらいました。

痛みは一向に治らず、あまりに痛がる私を見て旦那さんは何て大げさな人だと思ったそうですが、次第に傷周りの腹部が日に日に腫れ上がり、まるで再び妊娠しているみたいになり近くの大学病院で診てもらうと、何と感染症を起こしてお腹の中で膿が溜まってしまっているとの事でした。

こんな事が起こるのは交通事故に遭う様な確率だそうです。 私が思うに、子宮口をガリガリ激しく押し広げかき回された時に感染したのではないかと疑いました。多分間違いないと確信しています。

この残酷な事実を東京衛生病院のドクターに伝えなければ!と思い、車椅子で往復3時間もかけ、2度と行きたくない東京衛生病院に行って来ました。

ドクターに惨状を診てもらうと、自分に落ち度がない事や、出産前に同意書にサインしており、こんな状態になったとしても文句は言えない様な事を言われただけで、泣き寝入りするしかありませんでした。本当に本当に悔しいです!!! ドクターも悪ぶれた様子もなく、抗生剤の点滴を打たされただけで帰されました。

その後、地元の大学病院でも抗生剤を点滴するしか方法はないと言われ、2週間ほど点滴に通いましたが、ある日傷の状態を診察してもらっていた時、マックスに腫れ上がったお腹が突然破裂し、膿がドバッと吹き出して来たんです!!! その時の痛みったら本当に気絶寸前でしたよ。 お腹は帝王切開した傷がパックリ開き、膿やら出血やらで散々な状態だったにも関わらず、救急車には乗れないと言われ、タクシーで近くの大学病院へ行きました。あり得ないー!!!

救急車で運ばれたわけではないので、緊急に診てもらうことが出来ず一般の外来患者と同じ様に待たされての診察でした。お腹の傷がパックリ開いた緊急を要する状態にも関わらず、です。今思い出すだけでゾッとします。

やっと自分の番が来て診てもらうと即入院でした。「当たり前や〜!! はよー腹縫ってくれー!!!」と心の中で叫んでいましたが、ドクターは「縫いませんよ〜(ニヤっ)自然に閉じるのを待ってくださいねー」だって。あり得ないだろー!でもこれが現実でした。

大学病院のドクターは続けて「出産後にこんな状態になってしまった方は長年医者をしてきて初めてみます。よっぽど出産に立ち会ったドクターの腕が悪いか、あなたの運が悪かったとしか思えない」と言われました。

帝王切開した傷口が裂けたまま約2週間も入院ですわ。1日3回、焼ける様な消毒液を裂けた傷口に塗りたくられ、その度に私は絶叫し、しかも大学病院だからたくさんの新米ドクターやら研修医に囲まれての処置。きっと私の様な帝王切開の傷がパックリいく様な患者はほぼ皆無なのだろう。最悪だ。。。

もちろんこんな状態だからしばらくお風呂にも入れなければ、生まれたてのららんにも会えない。ららんは日赤でNICU、私は大学病院で2週間も入院。授乳も出来やしない。何とか絞り出して母乳を旦那さんに運んでもらってららんに飲ませていたのだけれど、母乳なんて乳児に吸ってもらって初めて乳管が開いてミルクが出てくるのに、ほぼ吸われない日が続いたせいで、全く母乳が出なくなってしまった。これまた最悪。。。 母乳で育てるのが理想だったのに〜 クゥーっ!! 

入院中ベッドの上で「私何やってんだ!? 何でこんなことになってるんだ!? ららんは大丈夫なんだろうか?」とそんなことが頭の中をぐるぐる回っていました。

やっと傷口も塞がって来た頃、退院出来ました。でも帝王切開の傷口が裂けた時の状態はまさにお腹に唇がある様な異様な生々しい傷で、開き直って腹踊りでもして笑かしてやろうかと思ったぜぃ 😆  しかし縫わずに自然に任せてくっついた傷口は本当に醜い傷でひどいもんでした。

病み上がりの体に鞭を打って、今度はららんが入院しているNICUに通う日々が始まり、私が入院中に何度か遺伝子検査なども行ってもらっていて、看護師の方々にも私の代わりにららんのお世話をしていただいて、本当に助かりました。 そしてやっとららんの病名が分かったのです。 

東京衛生病院は看護師の対応も冷たく、ららんの検査すらしてくれなかった。 私が退院するときもあれほど異常な痛みを訴えていたのにも関わらずよく問診しようともせず退院させられ、こんなお腹の内部が膿み傷口が裂ける羽目になった。しかも入院中、異常に病院内が暖房で暑く、汗をかきすぎて風邪を引く始末。 2度とこんな病院に行きたくない。 東京衛生病院なんて絶対人にオススメ出来ないです! 本当に訴えてやりたいくらいだった。 

でも私の様な被害にあったケースなんて隠蔽されて表には出てこないから「無事故の実績の優良病院」という事になっているんです。もちろんみんながみんな、こんな酷い目にあわないとは思うし、何事もなく無事に出産された人の方が多いとは思いますが、ここまで酷くなくても東京衛生病院で出産した方で嫌な思いをした人は結構多いと思います。私が次に産んだ娘の時に出産した地元の日赤の方がよ〜っぽどドクターや看護師の対応が良かったし、病院もきれいでケアもきめ細やかでした。

 

私にとっての無痛分娩とは

悪夢としか言いようのない経験でした。やっぱり近くの病院で自然分娩が当たり前に良いんだと思いました。普通に陣痛を経験して子供の出て来たいタイミングで産んであげれば良かったと後悔しています。

無痛分娩は家族の反対を押し切って自分で選んだ事で自業自得です。お見舞いに来てくれた家族も、遠い道のりを毎日きてくれ、本当に申し訳なかったと思ってます。

結局無痛分娩が帝王切開になってしまったので、次の子供を生む際も帝王切開になってしまう様で、自然分娩に挑むことができず残念でしたが、地元の日赤のドクターの腕が本当に良く、ららんの妹を出産するときはリスクを承知で同じ傷口を上手に切って娘を取り出してくれ処理してくれたおかげで、あの醜く残ってしまったお腹の傷が何と何と、今では綺麗に跡も残っていません! 

本当に日赤のドクターには感謝しかありません。 しかもららんを産んだ後、数ヶ月お腹が痛み、「帝王切開ってこんなに痛いものなんだ」と思っていましたが、娘を帝王切開で産んだ時は、3日もすれば痛みもかなり回復していたことにビックリしました。

痛み止めも使わなかったほどです。繰り返しになりますが、やっぱり無理して遠くまで通って金銭的負担やリスクを負ってまで無痛分娩はすべきでないと私は思いました 😀 

 

(この話の続きはこちらの記事をチェック!)

 

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