乳がんで若くして命を落とされる女性が本当に急増しています。

ちびまる子ちゃんの作者で有名な『さくらももこ』さんも

2018年8月15日に53歳という若さで乳がんで

この世を去られてしまいました。

(さくらももこさんの記事はこちら!)

 

私にとってもさくらさんの死はすごくショッキングなニュースでした。

乳がんは転移率も高く、女性が最も恐れる病気でもありますね。

私の人生に多大な影響を与えてくれた大親友も、40歳の若さで

乳がんの為、命を奪われました。

芸能人の方々や、私の大親友Fumiちゃんを例に

乳がんの要因を考えてみたら

乳がんを発病する人の共通点がいくつか見えてきましたので

綴っていきたいと思います。

 

 

乳がんで亡くなった芸能人と克服された芸能人の一例

最近乳がんで亡くなられた人で一番印象に残っているのは

  • 元キャンディーズで女優の田中好子さん
  • フリーアナウンサーの小林麻央さん
  • ちびまる子ちゃんの作者であるさくらももこさん

ですね。

田中好子さんは約20年間の長期にわたり

乳がんの再発と闘っておられましたが

2011年には2月にはラッシュと言われる

がん細胞が急激に増殖する症状に見舞われ

肺や肝臓に転移し、わずか2ヶ月後の4月に亡くなられました。

 

小林麻央さんやさくらももこさんは、お若くして亡くなられています。

麻央さんは特に30代前半に発病した事もあり、癌の進行も早く

転移を食い止めることが難しかったとされています。

さくらももこさんは40代後半に発病されたそうで

長い闘病生活を経て、再発→転移という流れで

帰らぬ人となってしまいました。。。

 

 

乳がんとの闘いの中、再発や度重なる手術を乗り越え

元気に職場復帰されている芸能人も数多くいらっしゃいます。

  • 山田邦子さん
  • 北斗晶さん
  • 生稲晃子さん
  • 南果歩さん
  • 麻木久仁子さん
  • 平松愛理さん

 

山田邦子さんは47歳の時に医療系の番組内で乳がんと診断され

手術とホルモン治療を継続しながら、生活習慣も改善することで

乳がんを克服し、その後は再発することなく現在に至っています。

 

北斗晶さんは、毎年乳がん検診を受けていたにも関わらず

胸に痛みを感じる様になり受診したところ、ステージ2という

状況で、右乳房と脇下のリンパ節の摘出手術を終え

放射線治療、ホルモン治療、抗がん剤治療を経て

現在も通院しながら仕事復帰されました。

 

生稲晃子さんは、度重なる再発と闘い、計5回もの手術を乗り越え

現在はホルモン治療を続けながら仕事復帰されています。

 

南果歩さんは2016年に人間ドッグでステージ1の乳がんが見つかり

翌年に手術を受け、その後放射線治療と抗がん剤治療を受けていましたが

現在は抗がん剤治療をご自身の意思でストップしているそうです。

 

麻木久仁子さんも人間ドッグで乳がんを早期発見し

がん細胞だけ摘出する手術を行い

その後は放射線治療とホルモン療法を続けながら

現在は仕事復帰されています。

 

平松愛理さんは2002年に乳がんが見つかり

計8回の手術を経て、現在は再発もなく元気に仕事復帰されました。

 

 

Fumiちゃんの発病と闘病期間を振り返ってみた

Fumiちゃんとは私がまだ高校生の時にアメリカで出会いました。

私と同い年のFumiちゃんは、家業でもあるサボテンの栽培&販売を

手伝っていましたが、8歳の頃からアメリカに家族と移住して以来

大変な苦労を重ねて大人になりました。

交換留学生だった私をFumiちゃん家族は受け入れてくれて

まるで家族の様に沢山の愛情を私に注いでくれたんです。

FumiちゃんやFumiちゃんの家族と過ごした日々は

人生の苦労や喜びを共有させてもらい、私の人生観は

大きく変わりました。

 

Fumiちゃんのお父さんは血液のガンと闘いながら長期にわたり

ハードな仕事をこなしていましたが、その後亡くなり、

そんなおお父さんの死を追う様に今度はお母さんも子宮がんで

亡くなられてしまった。。。 

Fumiちゃんにはお姉さんがいるのだが、結婚して嫁いでからは疎遠で

全く連絡を取っていないという。 

なので、ファミリービジネスであったサボテンの商売を

Fumiちゃんがひとりでやっていて、お父さんが亡くなる前に

大型トラックの免許を取り、一人でサンフランシスコの

ファーマーズマーケットに売りに行っている仕事をもうずっと続けている。 

私もFumiちゃんと同じ大学に通っていた時はよくこの仕事を

お手伝いしたので知っているが、サボテンは重いし痛いし朝3時に起きて

すぐ出発するめちゃくちゃハードな仕事なんです。 

 

私は母を亡くしただけでも辛かったのに、彼女は両親を亡くし

一人で家業を頑張っている。 もう彼女の体がとても心配でした。 

くれぐれも無理はしないで、なにかあったらすぐに連絡してね! 

とは言っているのだが、アメリカと日本はやっぱり遠いので心配。。。 

でも彼女のまわりには本当に素晴らしい友達が多く、彼女を側で

支えてくれている温かい人達に恵まれているので

これもやっぱりひとえに彼女の人柄なのだろう、と思う。

 

あれから長い月日が経ち、いつもの元気な声で

「明けましておめでとう~! 元気?」との電話があった。 

私も「うん、おかげさまで元気よ~♪ Fumiは?」と聞くと

Fumiちゃんは明るく

「うん、元気!って本当は言いたかったんだけど、私、乳がんになっちゃった。。。」

 

もう息が止まりそうだった。 彼女はいつもどおりの明るい声だったが

抗がん処方を受けているとの事。 彼女の彼が異変に気付き

先月に検査して見つかったそうなのでまだ早期段階だったというのだが

なんとしこりは5cmもあるという。 

もうただただ、私は慌てて取り乱してしまいそうなのを必死で押さえていたが

本人はとても冷静に受け入れていて

「この1年間で治療と手術で治して行くから大丈夫! がんばるよ!」

と言っていた。 もう彼女の身に何かあったら、、、と思うと気が気でない。 

『神様、どうかどうかFumiを助けて!』

と祈るばかり、、、

 

 

その後、Fumiちゃんに最後に会ったのが10年前の事。

頑張って抗がん剤を受けて癌を克服し、少し痩せていたけれど

発病から3年程経っていて思った以上に元気そうな彼女に会えたんです!

彼女は私の好きな食べ物を作って待っていてくれ、久々にゆっくりと

いろんな話をしてその日は彼女の家に泊まりました。

家の中はとってもきれいに片付けられていて、彼女の好きなバリ風

インテリアになっていたんです!

 

いつもと変わらぬ笑顔で「胸の跡見る?」と言って手術で摘出後の

胸を見せてくれた。

相当広い範囲だったのだと想像つくほど痛々しかったのだが

彼女は本当に前向きで、本当に完治したかのように思えたし

いらぬ心配も吹き飛んでしまった程だった。

でも今思い返すとやはり彼女は両親を癌で亡くし

その後たった一人で親が残してくれた家と商売を守り続けていた。

 

広大なサボテン園の土地を巡っては何やら新しくやってきた近所の

アメリカ人の言いがかりで裁判沙汰になっていていつも心配していたし

きっと計り知れないストレスや不安が常にあったのだろうと思う。

いつも彼女の周りには温かい友人がたくさんいたが、やはり何と言っても

家族の存在ほど大きな支えはないのではないだろうか・・・

 

あれから何度か電話で話し、一時は回復し再発の心配もなくなり

完全に元気な姿を取り戻し、癌を克服したかのように思えたのだが

一番最後に話したときは、なんと癌が再発してしまい

肺と肝臓に転移したとの事。

電話口での声も咳き込んでいて辛そうだったのだが

一生懸命ドクターと頑張ってるからきっと良くなるよ!と言ってた。

 

でも私は転移したと聞いた時点で正直もう先は長くないのではと怖くなり

最悪の場合連絡が取れなくなった時に私が電話出来る彼女の友人の

電話番号を聞いておいたのだが、結局もう2年近くも彼女と連絡が取れず

心配になって友人の電話にもかけてみたが留守電ばかりで繋がらず

モヤモヤしたままずっと気になっていた。

 

先週お風呂に入りながらふと彼女の事が気になり、なんとか近況や

連絡先がわからないものだろうかと想いを巡らせていたら、ふと

「ネットで名前を検索すれば誰かしらブログ等を書いているのでは!?」

とひらめいて、子供達を寝かせた後、ダメもとで

名前と地名を入力して検索してみた。すると・・・

いくつか出てきた!さすがネット社会アメリカだ。
早速上から見出しを見てみると・・・

「Fumi ○○○ died quietly …in April 19th, 20◯◯.」という

地元新聞紙の記事が出てきた。

えっ・・・

・・・・・

diedって・・・

言葉を失い脱力し、一気に涙が溢れた。

自宅の電話が「現在使われていません」のアナウンスが

もうずっと流れていたので嫌な予感はしていたものの

こうやっていざ活字でdiedという字を見るとこんなにも現実を

突きつけられショックが大きくなるものかと。

せめてもっと早く気付いてあげれてたら、そしてせめて最後に

もう一度会って話したかったし、抱きしめたかった!

私に家族がいなかったら転移していると聞いた時点でアメリカに

すっ飛んでいただろうけど、そうも出来ない現実。

私に出来る事はきっと、私の母が亡くなった時Fumiちゃんが

彼女の庭に母を想って花をたくさん植えてくれた事を思い出したので

私も彼女をずっと忘れない様、そして冥福を祈って

何か美しい花が咲く木を庭に植えました。

 

40歳でこの世をさってしまうなんて早すぎます!

 

 

乳がんを発病する人の共通点(友人と麻央さんを例に)

Fumiちゃんの生活を今一度思い返してみました。

Fumiちゃんは若くして両親に先立たれ、1人で

家業を受け継いで頑張っていました。

乳がんを引き起こしてしまう要因がここに

あったのではないかと思えてなりません。

  • ご両親が共に癌で他界
  • 家業を1人で回していくストレス
  • 高脂肪の食べ物を好んで食べていた

 

1)遺伝的要素

やはり癌は遺伝的要素は少なからずある様です。

小林麻央さんのお母様も乳がんを患われていたとの事です。

 

2)環境の変化と極度のストレス

Fumiちゃんは両親を亡くしたと同時に、1人で家業を受け継いで

こなしていかなくてはならない状況になってしまいました。

両親が亡くなってから初めて知る訴訟問題や金銭問題も

出てきた様ですので、仕事以外の苦労も並大抵ではなかったと

聞いています。

 

小林麻央さんもご結婚後に生活環境が大きく変わりました。

梨園の妻はきっと想像以上に気遣いや覚える事も多いので

ご自身では気付かないほど相当なストレスだったのでは。

 

3)食生活の乱れ

Fumiちゃん一家はグルメな人達でしたので、良い素材で美味しい手料理を

いつも作っていましたが、バターをよく使っていましたし

牛肉をよく食べていました。

乳製品も、高脂肪の高級ミルクやヨーグルトを好んで飲んでいました。

決して食生活が乱れていたとは思いませんが、高脂肪のリッチテイストを

好んで食していたという点と、ご両親が亡くなられて

一人暮らしになると食生活も手抜きに変化しがちです。

 

小林麻央さんは、ジャンクフードが大好きで

野菜はほとんど食べなかったそうです。

梨園に嫁いてからは、食事バランスを考えた料理を

求められますので、食生活の変化も麻央さんにとって

大きかったのではと察します。

 

私達女性に出来る予防を考えると、遺伝的要素は免れる事は難しいが

  • バランスの取れた食生活と添加物だらけの食事を避ける事
  • ストレスを溜めない生活を心掛ける事

 

この2点くらいは最低限、意識して生活していく事で予防に

繋がるのではないかと思うのです。

もちろん毎年健診に行く事も、早期発見につながるので

大事ですが、毎年健診を受けていた『北斗晶さん』ですら

発病を見逃されてしまう事だってあるのが現実です。

 

自分自身の健康は自分で守る!という意味で

日々の生活習慣がやはり一番大事なのかなと感じる今日この頃です。